マカオのカジノ王、スタンレー・ホー氏死去 98歳
「マカオのカジノ王」として広く知られた香港の実業家、スタンレー・ホー氏が5月26日午後1時頃、入院先の香港養和病院で死去しました。98歳でした。家族が同日、メディアに明らかにしました。
1921年11月25日に香港の裕福な家庭に生まれたホー氏は香港の大学に通いましたが、第2次世界大戦中に21歳でマカオへ逃れ、日系企業に勤めたこともあり、滑らかな日本語を話しました。燃料や飛行機の取引から身を起こし、1961年にカジノを運営する会社を立ち上げました。その後、マカオ政府がカジノの営業を複数の企業に認めるまで40年にわたり営業権を独占して、マカオのカジノ界を支配し、一代で巨万の富を築きました。
独占ライセンスはマカオがポルトガルから中国に返還された2年後の2001年に期限が切れ、中国はラスベガス・サンズやウィン・リゾーツなど競合企業にライセンスを付与しましたが、競争はむしろマカオのカジノ産業発展に寄与し、ホー氏の資産は膨らみました。米ブルームバーグ通信によると、昨年の純資産は推計149億ドルでした。中国の経済開放に伴う富裕層台頭とともに同氏のカジノ・ホテル運営会社SJMホールディングスは成長し、現在もマカオの主要企業の一つとなっており、マカオに20のカジノを展開しています。
また、ホー氏はホテルやリゾート施設、空港、不動産などの開発やインフラ整備にも関わって、目立った産業のなかったマカオを「アジアのラスベガス」に育て上げました。世界最大級のカジノの街へと発展するのに重要な役割を果たし、「マカオのカジノ王」と呼ばれ、マカオの経済成長を牽引したと評価されています。マカオの外にも事業を広げ、香港に住宅・オフィス用ビルを建設したほか、ポルトガルでカジノのライセンスを取得し、北朝鮮のカジノにも資金を投じました。
近年は香港で療養生活を送っており、ビジネスの第一線から退いていましたが、依然として大きな存在感を示していました。アナリストらは、ホー氏の死去が事業に大きな影響を与えることはないとみています。
ホー氏は、アジアを代表する大富豪として知られる一方、中国の国政諮問機関である全国政治協商会議の常務委員も15年にわたって務めるなど共産党政権とも関係を築きました。マカオが1999年にポルトガルから中国に返還された際には、憲法にあたる基本法の作成にも関わりました。
私生活ではダンスを楽しみ、親しい人々にはギャンブルをしないよう助言していたということです。4人の妻との間に17人の子供を設けたホー氏は、09年に脳疾患で倒れた後は健康不安が続き、18年半ばごろに引退し、娘のデイジー・ホー氏や4人目の妻と称するアンジェラ・レオン氏らにSJMホールディングスの経営を委ねましたが、巨額の資産を巡る一族の内紛が起き、19年に第二夫人の長女のパンジー氏らが実権を握りました。
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