香港とシンガポールの証券取引所における挑戦と機会
シンガポールと香港は、アジアの金融市場における双璧として長年にわたり重要な役割を果たしてきました。しかし、両都市が果たす役割はそれぞれ異なり、特に近年では、その違いが顕著になっています。
今回の記事では、シンガポール証券取引所(SGX)と香港証券取引所(HKEX)の現状、直面する課題、そして将来の展望について深く掘り下げます。
香港証券取引所(HKEX)の強みと課題
香港は現在中国との密接な関係と過去イギリス植民地であった期間に積み上げてきた国際的なレピュテーションを持っており、HKEXは特に中国企業にとって資本調達のための主要なプラットフォームであり続けています。2008年の世界金融危機以降、多くの中国企業が香港で上場を果たし、投資銀行は容易に手数料を稼ぐことができました。これは、香港が持つ強力な資本市場と、東アジア全域における金融ハブとしての役割を象徴しています。
しかし、近年、香港の市場は新たな課題に直面しています。2019年の民主化運動に対する政府の強硬な対応は、国際的なレピュテーションに影響を与えました。特に、ビジネス旅行者や投資家の間では、香港の未来に対する懸念が広がっています。Morgan Stanleyの元アジア会長であるStephen S. Roach氏が「香港は終わった」と表現した一方で、新興市場投資の専門家であるMark Mobius氏は、香港の潜在力を軽視するのは誤りだと主張しています。
香港は依然として大規模な資金調達が可能な市場を有していますが、中国経済の減速が香港の将来に影を落としています。中国の企業は依然として香港市場を活用していますが、IPOの数は減少し、資金調達の規模も縮小しています。このような状況下で、香港が持続的な成長を維持するためには、新たな戦略と市場の活性化が不可欠です。
シンガポール証券取引所(SGX)の現状と将来
一方、SGXは、シンガポールの経済規模が香港よりも大きいにもかかわらず、上場企業の総価値が香港の7分の1程度にとどまっています。この数字は、SGXが抱える課題を如実に物語っています。
SGXの取引量の少なさは、投資家や企業にとっての大きな懸念材料です。2023年には、SGXの回転率は36%にとどまり、香港の57.35%や日本取引所グループ(JPX)の103.6%に大きく遅れを取っています。これにより、SGXは「退屈」や「魅力に欠ける」という評価を受けがちです。
シンガポールに本社を置く企業でさえ、アメリカ市場を選好する傾向が強まっています。たとえば、オンライン中古車市場の「Carro」は、シンガポール市場での上場よりも、ニューヨーク証券取引所(NYSE)やナスダック(NASDAQ)での上場を検討しています。これは、シンガポール市場がテクノロジー企業に対して適切な評価を提供できない可能性があるためです。CarroのCEOは、「深い市場」としてアメリカ市場を挙げており、シンガポール市場の流動性と評価に対する懸念を示しています。
しかし、SGXは単なる現状維持にとどまらず、改革を進めています。シンガポール金融管理局(MAS)は、SGXの発展を支援するためのレビューグループを設立し、改革の推進を図っています。特別買収目的会社(SPAC)の上場枠組みもその一環であり、新たな資金調達の手段を提供することで市場の活性化を目指しています。しかし、これまでの成果は限定的であり、さらなる取り組みが求められています。
香港とシンガポールの役割の違いと相互補完性
香港とシンガポールの株式市場は、それぞれ異なる役割を果たしています。香港は、特に中国企業にとって資本調達の中心地としての地位を確立しており、IPOや大規模な資金調達の場としての役割を果たしています。一方で、シンガポールはプライベート・ウェルスマネジメント分野において強みを発揮しており、特に富裕層の資産保全の場としての役割を果たしています。
この違いは、両市場が相互補完的な関係にあることを示しています。たとえば、中国の富裕層は香港で資産を増やし、シンガポールでその資産を保全するという戦略を採用しています。香港市場が提供する資本調達の機会と、シンガポール市場が提供するプライベート・ウェルスマネジメントの安定性は、アジア全域における金融戦略の一部として機能しています。
香港証券取引所(HKEX)の改革と未来の展望
近年の政治的・経済的な変動は、HKEXの未来に対する不安を引き起こしています。それでもなお、HKEXはその影響力を維持し、さらに強化するための戦略的な改革を進めています。
HKEXは、「上海・香港ストック・コネクト」や「深セン・香港ストック・コネクト」といったクロスボーダー取引制度の拡大が重要視し、中国との経済的な連携をさらに深めることを目指しています。これにより、中国と香港市場の間での資本の流動性が高まり、両市場の一体化が進むと期待されており、香港市場の取引量を増加させることがより多くの投資家を引きつけるための一助となります。
また、HKEXはテクノロジーやイノベーション分野の企業を引きつけるために、上場要件の緩和や、スタートアップ企業やテクノロジー企業向けの新しい市場セグメントの設立を含む新たな取り組みを進めています。特に、バイオテクノロジー企業に対する上場要件の緩和は、これまで上場が難しかった企業にも機会を提供し、香港市場の多様性を広げる狙いがあります。一方、国際的な投資家に対する魅力を高めるために、HKEXは規制環境の整備や、グローバルな基準に沿った透明性の向上など、エコシステムの整備にも注力しています。
一番懸念されている香港の地政学的リスクには、HKEXは市場の安定性を確保するためのリスク管理戦略を強化しています。特に、政治的な不安定要因が市場に与える影響を最小限に抑えるための仕組みを整備し、長期的な成長を目指しています。
シンガポール証券取引所(SGX)の改革と未来の展望
SGXの未来に向けた改革は、単なる市場の活性化にとどまらず、シンガポールの金融ハブとしての地位を強化するための戦略的な取り組みです。MASが主導するレビューグループの設立は、SGXの国際競争力を向上させるための重要なステップです。また、特別買収目的会社(SPAC)の上場枠組みや、新たな資金調達手段の提供も、市場の魅力を高めるための一環です。
しかし、これらの改革だけでは不十分です。SGXが真に国際的な競争力を持つ市場となるためには、さらに多くの取り組みが求められます。特に、テクノロジー企業や成長企業を引きつけるための新たな戦略が必要です。これには、より柔軟な規制枠組みや、上場企業に対する評価の向上が含まれます。
さらに、シンガポールは、国際的な企業に対して、シンガポール市場での上場を促進するためのインセンティブを提供することが求められます。シンガポール市場が提供する安定性と、プライベート・ウェルスマネジメント分野における強みを活かしながら、企業が資本を調達しやすい環境を整えることが重要です。
まとめ
シンガポールと香港の株式市場は、それぞれ異なる役割を果たしながら、アジア全域における金融ハブとしての地位を確立しています。しかし、両市場が直面する課題はそれぞれ異なり、その未来には多くの不確実性が存在します。香港は依然として大規模な資金調達の中心地であり続ける一方で、シンガポールはプライベート・ウェルスマネジメント分野での強みを活かしつつ、さらなる市場改革を進める必要があります。
HKEXとSGXの改革と未来の展望は、地域のビジネス環境に直接的な影響を及ぼし、企業の資本調達や成長戦略に新たな機会を提供します。これからの時代、どちらの市場が自社に最も適しているのかを見極めることが、ビジネス成功の鍵となるでしょう。
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参考:
1) Lim Hui Jie「Markets Things about Asia’s markets you might not have known」, CNBC, https://www.cnbc.com/2024/01/09/things-you-might-not-have-known-about-asias-markets-according-to-hsbc.html
2)Tang See Kit「Investments from GIC ‘not the solution’ to shake up Singapore’s stock market: Chee Hong Tat」, CNA, https://www.channelnewsasia.com/business/investments-gic-not-solution-shake-singapore-stock-market-sgx-chee-hong-tat-4451321
3)He Jun「The New Tale of Two Cities: Hong Kong and Singapore under the Age of De-globalization」, Modern Diplomacy, https://moderndiplomacy.eu/2024/06/06/the-new-tale-of-two-cities-hong-kong-and-singapore-under-the-age-of-de-globalization/
4)Lim Hui Jie「Singapore wants to revive its stock market. Could major Asian markets have the answers?」, CNBC, https://www.cnbc.com/2024/06/13/singapore-wants-to-revive-the-sgx-south-korea-japan-may-have-answers.html
5)Shuli Ren「Stop comparing Hong Kong to Singapore」, The Japan Times, https://www.japantimes.co.jp/commentary/2024/06/19/world/comparing-hong-kong-singapore/
6)Nadirah Zaidi、Jalelah Abu Baker「What is stopping firms from listing on SGX and what more can be done?」, CNA, https://www.channelnewsasia.com/singapore/sgx-ipo-valuation-liquidity-nyse-tech-firms-public-listing-4535196